自分軸と他人軸
お盆は夫の国家試験があり2泊3日で家を開けていたのでわたしと息子と二人、お留守番でした。
お留守番とはいえ、ワンオペでどうなるかなとおもいきや、意外と自分のペースで動けたのでたのしかったです。
二つの神社にお参りにいきました。どちらも氷川神社。
たくさんいろんなことをお祈りしてきました。
いまは試験も終わり、穏やかな日常が戻ってきています。
しかし完璧主義の残り香が香るわたし。
夫にあれこれ期待して、いちいちそうじゃなくて、いちいちイライラして、相手のせいにして。すごく悪循環。というシーンがよくあります。
完璧じゃなくてもいいのに、頭でわかっているけどなっちゃうから、身についていないんだな。
だからしんどいんだな。
そして他人軸。
他人軸で生きると、辛くなります。
「あの人がこういったから」「この人がこういうから」「あの人にこれを勧められた」「あの人に嫌われそうだから」「あの人にこう思われそう」「あの人に褒められたいから、やる」というのもそうです。
一見、自分のやりたいようにやってると思っても、その奥底の軸は実は他人だったということが少なくありません。
わたしはずっと他人軸できました。
一番は、母親かな。
一番愛されたい人。しかし愛し方のわからない母。
ぐちゃぐちゃでしたね。
わたしは愛されたいがためにこどものころから「母がよろこぶから」「母をかなしませたくないから」「母に怒られるから」という判断基準でした。
自分の好きなことさせてもらったのは幸運なことです。大きな選択(進学や習い事の開始)は母はやりたいようにやらせてくれました。
だけど、習い事を休めなかったし、学校も皆勤。
すごーーーーーーーく厳しい母親でした。
夢に般若の面を被った母が出てきたことがあり、それはとても恐怖でした。(今でも忘れない、父が亡くなってすぐ見た夢でした。6歳でした)
友達のお母さんが優しくて、「お母さん=怖い」と思い込んでいたわたしは驚きの連続。!!
大人になったいま、母の立場で考えると、精神的に不安定なのは母自身だったんだといまはわかります。
夫を亡くし、子ども3人を養うためにしごとをして、実父母と一緒に暮らすストレスと、甘え方がわからないということ。
それはそれは大変だったろうなといまは思います。
ただ、若かったわたしはそんなこと知らんがなというわけで。
ぶつかりましたね。
そうそう。他人軸の話。
自分軸で生きると、自分の道が開てくるし、
じぶんとの対話が始まって、それはすごく楽しいこと。
昨日まさにそんな話を夫としました。
わたし「心理のs先生にこの仕事むいてそうって言われてさ〜。それに最近ヨガの先生にインストラクター向いてる!ていわれたり、ハロワの人は事務職だよねというし、もーどうすればいいんだ!!」
夫「それ、他人軸だよ。自分軸じゃないよ」
わたし「はっ!!ほんとだ!!」
夫「大切なのはだれかにいわれたからこうするじゃなくて、自分がなにをしたいかでしょう」
わたし「私、いまはヨガの学びを深めたい!」
夫「そう!それが自分軸だよ。その通りに進めばいいんだよ」
ちょっと、ふに落ちたというか、いろんなひとのいろんないけんに左右されてたなと。
そしたら、すごくもやもやがはれて、すっきり!
他人軸が行き過ぎると、実は怖いことに発展してしまうのです。
そうならないように、「私はどうしたいか、他人の軸になっていないか」って意識していきたいなぁと思いました。