摂食障害のトンネルから抜け出した話

摂食障害の渦中にいる方たち、その家族に少しでも希望になればいいなぁと思います(^_^)

自分軸と他人軸

お盆は夫の国家試験があり2泊3日で家を開けていたのでわたしと息子と二人、お留守番でした。

お留守番とはいえ、ワンオペでどうなるかなとおもいきや、意外と自分のペースで動けたのでたのしかったです。

二つの神社にお参りにいきました。どちらも氷川神社

たくさんいろんなことをお祈りしてきました。

 

いまは試験も終わり、穏やかな日常が戻ってきています。

 

しかし完璧主義の残り香が香るわたし。

夫にあれこれ期待して、いちいちそうじゃなくて、いちいちイライラして、相手のせいにして。すごく悪循環。というシーンがよくあります。

完璧じゃなくてもいいのに、頭でわかっているけどなっちゃうから、身についていないんだな。

からしんどいんだな。

そして他人軸。

 

他人軸で生きると、辛くなります。

 

「あの人がこういったから」「この人がこういうから」「あの人にこれを勧められた」「あの人に嫌われそうだから」「あの人にこう思われそう」「あの人に褒められたいから、やる」というのもそうです。

一見、自分のやりたいようにやってると思っても、その奥底の軸は実は他人だったということが少なくありません。

 

わたしはずっと他人軸できました。

一番は、母親かな。

一番愛されたい人。しかし愛し方のわからない母。

ぐちゃぐちゃでしたね。

わたしは愛されたいがためにこどものころから「母がよろこぶから」「母をかなしませたくないから」「母に怒られるから」という判断基準でした。

自分の好きなことさせてもらったのは幸運なことです。大きな選択(進学や習い事の開始)は母はやりたいようにやらせてくれました。

 

だけど、習い事を休めなかったし、学校も皆勤。

すごーーーーーーーく厳しい母親でした。

夢に般若の面を被った母が出てきたことがあり、それはとても恐怖でした。(今でも忘れない、父が亡くなってすぐ見た夢でした。6歳でした)

友達のお母さんが優しくて、「お母さん=怖い」と思い込んでいたわたしは驚きの連続。!!

 

大人になったいま、母の立場で考えると、精神的に不安定なのは母自身だったんだといまはわかります。

夫を亡くし、子ども3人を養うためにしごとをして、実父母と一緒に暮らすストレスと、甘え方がわからないということ。

それはそれは大変だったろうなといまは思います。

 

ただ、若かったわたしはそんなこと知らんがなというわけで。

ぶつかりましたね。

 

 

そうそう。他人軸の話。

自分軸で生きると、自分の道が開てくるし、

じぶんとの対話が始まって、それはすごく楽しいこと。

昨日まさにそんな話を夫としました。

 

わたし「心理のs先生にこの仕事むいてそうって言われてさ〜。それに最近ヨガの先生にインストラクター向いてる!ていわれたり、ハロワの人は事務職だよねというし、もーどうすればいいんだ!!」

夫「それ、他人軸だよ。自分軸じゃないよ」

わたし「はっ!!ほんとだ!!」

夫「大切なのはだれかにいわれたからこうするじゃなくて、自分がなにをしたいかでしょう」

わたし「私、いまはヨガの学びを深めたい!」

夫「そう!それが自分軸だよ。その通りに進めばいいんだよ」

 

 

ちょっと、ふに落ちたというか、いろんなひとのいろんないけんに左右されてたなと。

そしたら、すごくもやもやがはれて、すっきり!

 

他人軸が行き過ぎると、実は怖いことに発展してしまうのです。

そうならないように、「私はどうしたいか、他人の軸になっていないか」って意識していきたいなぁと思いました。