摂食障害のトンネルから抜け出した話

摂食障害の渦中にいる方たち、その家族に少しでも希望になればいいなぁと思います(^_^)

運命の出会い2

続いての運命の出会いは、大学2年の時に出会った、大学のカウンセラーの先生です。

 

当時、わたしの話をあれだけ聞いてくれたという経験は人生初めてで、とてもとても嬉しかったし、幸せでした。(しかも、大学内にあった相談室なので、無料というのもgood)わたしはもともと話すことが大好きなので、聞いてくれる人というのはもうそれはそれはありがたい存在です。

そのカウンセラーの先生は、わたしの命の恩人でもありました。

 

 

 

2011年、3月11日、あの震災の時、私は大学にカウンセリングを受けるためだけに登校していました。

帰りのスクールバスの中で揺れを経験し、駅で立ち往生、私はほぼ何も食べていない時期だったので、フラフラ。椅子に座るのも痛くて座れない。鞄の中にかろうじで小さなパンが2つ。さてどうしよう?!?!

 

しばらく駅で様子をみたあと、スクールバスの時刻表をみると、最終バスがあるではないか!

と発見した私は、すぐさま学校へ戻ることを決意。

 

学校に戻ると、先生はまだいました。

すぐに相談室をあけて、相談室の隣はリラックスルームになっていたのでそこも開放してくれて、私は先生と話したり、面白いdvdをみて笑ったり、日本中が大変なことになっているのに、その映像なりニュースなりをみることなく、その日の晩も暖かい毛布に包まれて眠ることができました。

もし、あのまま駅にいたら、長い距離を体力のない細い体でヘロヘロになって歩いて帰っていたのかな。たどり着かずにどこかにへばっていたかもしれないと思うと、あの時の判断や、先生の存在に命を救われました。

 

 

翌日、母と連絡が取れたのですぐに車で迎えにきてもらえました。

先生、ありがとう・・・・・!!!

 

 

それから、3週間後に緊急入院が決まり、学校へは通えなくなりました。

 

入院中に先生から電話がきました。

4月からは先生は転任、他の学校へ行くことが決まり、もう会えないかもしれないという電話でした。それはそれはショックで、言葉に詰まっていると、「たくさん頑張っていることを僕は知っているから。希望を捨てないで生きるんだよ」というような言葉をかけてくれました。そして、あの日、私に見せなかった先生の大変な悲劇があったことをきいて、涙が次から次から溢れてきました。

そんなこと、顔に出さず、一言も言わず、何もなかったように私に寄り添ってくれていたーーー

 

私は決意しました。

病気を治して絶対に絶対に、会いに行くって。

先生に伝えると、うん、うん、と言いました。

 

 

 

 

それから、目標ができて生きる力にもなりました。たまに年賀状のやり取りをしたけど何年も何年もあっというまに経っていきました。

 

 

 

 

病気がよくなって、私は北海道で2年ほど生活をしました。そこでパートナーと結婚をして、妊娠して、関東に帰ってきました。

 

いつでも先生の存在を忘れたことがなく、年賀状のやり取りだけでしたが、先生がいまどの学校にいるのかは知っていたので、引越しが落ち着き、まだつわりも始まらない頃だったのもあり、学園祭に足を運んでみました。

 

しかも、車で15分の距離!!!

 

私は走ってはいけない身なのにいそいそと先生を探しました。

そしてついに、、7年越しの再開を果たしました。

互いに言葉を失ってしまい、ただただ微笑み合いました。

ああ・・・先生に会えた。夢みたい!!!涙がまた溢れてきて、本当に本当に嬉しかった。夢が現実になった!!

 

先生も、今日は会える気がしていたというのでエスパーなのかな?笑

嬉しくて、先生も多忙な中、たくさんたくさんお話をしました。

 

その学校は子ども支援センターのように遊び場を開放している部屋があり、子どもが生まれてからも学校に通い、時々先生と会ってお話ししたりしています。

 

不思議な縁というのがあるんだなぁと思いました。