摂食障害のトンネルから抜け出した話

摂食障害の渦中にいる方たち、その家族に少しでも希望になればいいなぁと思います(^_^)

前の投稿は、かわいいいたずら。

こんにちは。

一つ前の謎の投稿は、息子のいたずらです。

敢えて、残します。

なんか、こういうのも今だけだよなぁと思うと、残しておいて、後でネタにしちゃおう!と思うのです。

 

 

ハーブの本を久しぶりに読み返していたら、楽しくて時間を忘れていました。

私はハーブとアロマに出会ってから、貪るように勉強して、資格をいくつか取りました。(アロマ検定1級、ハーブコーディネーター、メディカルハーブ、園芸福祉)

勉強している間にも、知れば知るほど癒されてゆき、全然苦ではないのです。

いくつか資格を取ると、その協会から

「メンバーになりませんか」という通知がたくさんきます。たくさん講座を受けられたり、ツアーに行けたり、開業のノウハウも学べる・・・でも、年会費がそう安くないというのとハーブとアロマって富裕層の趣味なんだなぁと、庶民で無職の私には感じざるを得ないその冊子の中身と・・・

で、ほぼ独学で知識を入れてきました。

 

そのなかで、ハーブの神話や昔の伝説話も交えて書かれている内容の濃ゆい本がありまして。

それが私は大好き。

いろんな神話を読むと、ハーブもほんとうに奥行きがあるものだなぁとおもいます。

 

心の病気に(そうじゃなくても、今の現代に

)必要な「いやし」にもなるハーブやアロマのことをこのブログを通して発信して行こうかなとおもいます。

 

 

今一番欲しいものは、メディカルハーブの図鑑です。笑

 

今回は予告まで。

 

なにから紹介しようかな〜

五感に敏感

久しぶりの更新です。

 

画面に向かってじっくり考えながら文字を入力するということは、旦那が息子を見ていてくれ、一人外出できる時のみにしています。

 

 

さて、

私は、五感が敏感です。

小さい時から、いろんな音、匂い、光、味、感触のちがいに鋭い(鋭いというのかな)ために、得をした場面も、苦しい思いをした場面もあります。

 

HSPという言葉がようやく日本でも定着してきましたが、よかったなぁと思います。

私はやんわり、HSPの部類です。

故に、子どもの頃から、親の顔色や空気に敏感で機嫌を取ろう、怒らせないようにしようと無理をしていたのかもしれないです。

大人になって思うのですが、幼少期の私を客観的にみると、抱きしめてあげたいなぁと思うことがたくさん。

 

摂食障害になって、その五感アンテナがビンビンになり、一人暮らしも、音や光、匂いがダメで、おまけに実家の人間が一番ダメで、実家の近くで一人暮らしを転々としていました。

一番よかったのは、畑の隣のアパートの1階南東角の部屋でした。

 

私が思うのは、五感がビンビンになっているときは、できるだけ余計な情報をシャットダウンすることが大事なことになってくるのではないかなぁと。

目からの情報は特に脳味噌と、女性なら子宮にダイレクトにくるので、疲れたら10秒でも目を閉じるようにしていました。

部屋のなかも、私は片付けが大大大の苦手だったのですが、片付けるように、物を減らすように工夫したらすっきりした部屋では情報量が少なくて落ち着いて過ごせるようになりました。

そして出窓を「癒しのお気に入りスペース」として、大好きな花を飾ったり、置物を飾ったりして「ここをみると癒されるなぁ」という場所にしました。これは結構慌てやすい私には効果的でした。

 

音楽も、ロックよりはヒーリングミュージックが好きで、原色よりアースカラーパステルカラー、香りは合成香料よりアロマが好きです。

服装も、今は締め付けないものが好き。

 

「自分の好きはなんだろう?」を考えると、不安とか恐怖がその瞬間だけは遠くなるので、おすすめのストレスコーピング方法です。(コーピングというのは、逃れる、手放すという意味です)

 

子どもの頃を振り返ると、真逆のもの、真逆の環境に囲まれていきていたなぁ。

だから、知らず知らずに無理をしたり疲れていたり、悲しくなりやすかったり、したのかなぁ。

 

匂いと味覚は本当に敏感だと自他ともに認めるほどだと思っているので、それを生かしてなにかお仕事できないかなぁとか思ったり。

 

私、会社とか組織で働くのが下手で、じぶんでなにかアクションを起こしたいなぁとおもいつつ、迷走しています。

 

 

運命の出会い3

運命の出会い、3人目です。たくさんいるでしょう。

 

 

拒食で入院しているとき、私はちょうどアロマテラピーの試験勉強をしていました。鼻がすごく敏感で、いい香りに癒されるのが好きで、アロマに興味をもっていました。

 

 

病室で勉強していると、主治医の先生が、「ハーブは興味あるかい?」と聴いてきたので、アロマはハーブから抽出しているものですから、「はい」と答えました。

そうしたら、「病院のにわを作るKさんという方がいるから、その人にいろいろ教えてもらいながら、園芸療法というのをやってみないかい?」と言われました。

元々花や土いじいりが好きだったので断る理由がなく、もちろん承諾して、その日から園芸療法を始めました。

 

(Kさんは本当はSさんなのですが、私の中の登場人物があまりにもSがつく人が多くて、区別をつけるためにKにしました。)

 

ある日、病院内のデイケアでkさんが主催のハーブ教室があり、私も担当の看護師さんとともに参加しました。

ハーブの入ったパンケーキをいただき、フレッシュのハーブティーもいただきました。

そのハーブティーを飲んだ瞬間、ぱああああっと頭の中が開ける感覚。

「なっっっっにこれえええええ!!超おいしい!!!」

と頭の中で叫びました。すこし声に出ていたかも?

 

それが私のハーブとkさんとの出会いでした。

 

ハーブはおいしいだけでなく、香りで癒されて、飲んだりつけたりすると薬効がある。まぁ、薬草ですからね。そんな素晴らしい物質がこの世にあるなんて、と感動しっぱなしでした。

 

園芸療法はその後も続き、一日退屈でしかたなかった日が輝きをもった日々となりました。

Kさんは、いつもニコニコと私という存在を受け入れてくれ、雑草を抜いたり、花を植えたり、土を混ぜたり、水やりをしたり、本当に楽しかった。病院の片隅に小さなハーブガーデンがあるのですが、そこでハーブを収穫するお手伝いをして、香りに癒されて、太陽を浴び、土を触り、「生きている」感覚がすごくしました。

いろんな嫌なこと、人間関係、親子関係、そういう複雑なものが一斉に風になって飛んでいくような、一時ですが忘れられる時間でした。

 

Kさんは園芸やハーブのこと以外にも、とてもたくさんの経験を積んでおられ、私の人生の師匠のようなひとで、園芸活動中もいろんな話をしました。師匠であり、良い友達のようなかんじです。

その入院は3ヶ月だったのですが、退院した後も、ひょっこり遊びに行ったりお手伝いをしに行ったり、今も息子を連れて会いに行っています。コロナが始まってからは行けていませんが、げんきかなぁ。

 

彼女に勧められて、ハーブとアロマの資格をいくつかとって、学習指導員という、公的機関で指導ができる資格もとり、のちに、私はkさんがやっていたように、デイケアでハーブ教室を任せてもらえるようになりました。

ハーブ教室のあとにハーブティータイムがあるのですが、そのときにメンバーさん一人一人にお茶をいれ、そうするとみんなとってもいい顔で「おいしい〜」「いい香り〜」と言うのです。

私はその瞬間、すごくすごく幸せをかんじました。

 

これから、私はこういうことをしたいなぁ

 

と心から思った瞬間です。

まだまだ、実になりませんが、いつかそういうことをする人になりたいなぁと思っています。

 

痛みがわかるからこそ、私にできることがある。すこしでも、ほっとするものを与えられたらいいなぁって。

 

 

 

 

焦りの気持ち

私はよく、焦ります。

 

焦ると、心の余裕がなくなり、イライラしたり、不安になったり、悲しくなったり、拒食の心にも火がついてしまう原因にもなっていました。

 

焦りって、心に素直に従わなかった結果だとおもうのです。先日、気づきました。

 

自分は、仕事と、家庭と、自分の身体とのバランスを取るのがとても不器用です。

仕事を始めると、もう仕事人間の血が騒ぎ、年がら年中仕事のことで頭がいっぱいになるし、良い言葉で言えばプロフェッショナルなんだけど、それが生活や身体に大きく影響してしまうのが毎度でした。

私の母がそうだったのですが、私も血を継いでるなあと思いました。

母は、仕事人間で、年がら年中仕事のことで頭がいっぱい。家にいる時は疲れ切っていて心に余裕などなく、大体イライラして怒る。というのを何十年も見てきて、私はそんなふうにはなりたくない、多分いま仕事をしたらそうなる、と感じます。

 

なのに、周りの友達に

「仕事したら?」「ちーちゃんが働いて生計を立てた方がいいんじゃない?子ども預けてさ」

と言われたことがきっかけで、あわあわと仕事を探し始めたり、保育園を調べ始めたり。

旦那にも、あそこの保育園がいいよ、とか、こういう仕事があったよ と話していると、自分ですごく焦り、自分の心の奥底の「まだ億劫だなぁ、できればやりたくないなぁ」という気持ちに逆らっていることに気づきました。

 

これまでの経験だと、そんな気持ちで始めたことは大体うまくいかず、何かで悩むことになります。ほぼ、100%です。

 

 

それからは、心の奥から「できる、やれる。今、やりたい!」と湧き出てきた時に始めることをしています。そうして始めたものは、たいてい素晴らしいご縁だったり出逢いがあります。

もやもやしたまま始めないこと、なんでもやもやするんだろう?と自分を見つめること。

私の今大事にしていることの一つです。

 

運命の出会い2

続いての運命の出会いは、大学2年の時に出会った、大学のカウンセラーの先生です。

 

当時、わたしの話をあれだけ聞いてくれたという経験は人生初めてで、とてもとても嬉しかったし、幸せでした。(しかも、大学内にあった相談室なので、無料というのもgood)わたしはもともと話すことが大好きなので、聞いてくれる人というのはもうそれはそれはありがたい存在です。

そのカウンセラーの先生は、わたしの命の恩人でもありました。

 

 

 

2011年、3月11日、あの震災の時、私は大学にカウンセリングを受けるためだけに登校していました。

帰りのスクールバスの中で揺れを経験し、駅で立ち往生、私はほぼ何も食べていない時期だったので、フラフラ。椅子に座るのも痛くて座れない。鞄の中にかろうじで小さなパンが2つ。さてどうしよう?!?!

 

しばらく駅で様子をみたあと、スクールバスの時刻表をみると、最終バスがあるではないか!

と発見した私は、すぐさま学校へ戻ることを決意。

 

学校に戻ると、先生はまだいました。

すぐに相談室をあけて、相談室の隣はリラックスルームになっていたのでそこも開放してくれて、私は先生と話したり、面白いdvdをみて笑ったり、日本中が大変なことになっているのに、その映像なりニュースなりをみることなく、その日の晩も暖かい毛布に包まれて眠ることができました。

もし、あのまま駅にいたら、長い距離を体力のない細い体でヘロヘロになって歩いて帰っていたのかな。たどり着かずにどこかにへばっていたかもしれないと思うと、あの時の判断や、先生の存在に命を救われました。

 

 

翌日、母と連絡が取れたのですぐに車で迎えにきてもらえました。

先生、ありがとう・・・・・!!!

 

 

それから、3週間後に緊急入院が決まり、学校へは通えなくなりました。

 

入院中に先生から電話がきました。

4月からは先生は転任、他の学校へ行くことが決まり、もう会えないかもしれないという電話でした。それはそれはショックで、言葉に詰まっていると、「たくさん頑張っていることを僕は知っているから。希望を捨てないで生きるんだよ」というような言葉をかけてくれました。そして、あの日、私に見せなかった先生の大変な悲劇があったことをきいて、涙が次から次から溢れてきました。

そんなこと、顔に出さず、一言も言わず、何もなかったように私に寄り添ってくれていたーーー

 

私は決意しました。

病気を治して絶対に絶対に、会いに行くって。

先生に伝えると、うん、うん、と言いました。

 

 

 

 

それから、目標ができて生きる力にもなりました。たまに年賀状のやり取りをしたけど何年も何年もあっというまに経っていきました。

 

 

 

 

病気がよくなって、私は北海道で2年ほど生活をしました。そこでパートナーと結婚をして、妊娠して、関東に帰ってきました。

 

いつでも先生の存在を忘れたことがなく、年賀状のやり取りだけでしたが、先生がいまどの学校にいるのかは知っていたので、引越しが落ち着き、まだつわりも始まらない頃だったのもあり、学園祭に足を運んでみました。

 

しかも、車で15分の距離!!!

 

私は走ってはいけない身なのにいそいそと先生を探しました。

そしてついに、、7年越しの再開を果たしました。

互いに言葉を失ってしまい、ただただ微笑み合いました。

ああ・・・先生に会えた。夢みたい!!!涙がまた溢れてきて、本当に本当に嬉しかった。夢が現実になった!!

 

先生も、今日は会える気がしていたというのでエスパーなのかな?笑

嬉しくて、先生も多忙な中、たくさんたくさんお話をしました。

 

その学校は子ども支援センターのように遊び場を開放している部屋があり、子どもが生まれてからも学校に通い、時々先生と会ってお話ししたりしています。

 

不思議な縁というのがあるんだなぁと思いました。

 

 

 

運命の出会いはごろごろと

人生の中で、運命の出会いっていくつかあると思うんです。

その中でも、私の心をごろっと動かした、運命を変えた出会いをいくつか紹介したいとおもいます。

 

一つ目は、当時習っていたピアノの先生。

豪快で、かっこよくて、淡々としていて、私はその先生が大好きでした。

レッスンの後の雑談も楽しみな時間の一つで、ピアノのレッスンというより、先生との話を楽しみに通っていたというかんじでした。今思うと超絶にもったいないね・・・

高校二年生のとき、学期末試験が近づいている時に、私なりに勉強を頑張って、もう、少し気を抜こうかなと思ったところ、レッスン後のお話で、そんなことを話すと先生は一言、

 

「それで100点取れるの?100点取れるまでがんばらなきゃ」

 

って言ったんです。

 

はっ!!

 

 

とした私、バカ真面目な私は、帰ったら速攻ノートを広げ再び勉強に取り組むのでした。

 

先生のおかげで、成績は一気に上がって、学校の担任の先生にも褒められて、嬉しくて、卒業まで頑張りました。

 

先生は、完璧主義の先生だと後になって気づいたし、100点なんてとれなくてもよかったのにと今思います。

私の中の「完璧スイッチ」が入った瞬間でした。

 

その先生は、その後ピアノをやめても何年かはお付き合いがありましたが、いつの間にか疎遠いなってしまいました。

他人にも、何より自分にも厳しかった先生、今も元気かな。「時には無理をしないといけない時もある」とよく言っていたので、身体壊していないかな。

 

時々彼女の魂みなぎるパワフルなピアノがまた聴きたいです。

 

次は園芸の師匠の話。